はじめまして。管理人の元野球少年naoと申します。
こちらでは私の簡単な自己紹介をさせていただきますので少しでも興味がある方は見て頂けると嬉しいです。
私は30代の中年男性で小中高と野球一筋でやってきました。野球を始めたきっかけは、父親と祖父の影響で小学1年生の頃から野球を始めて、プロ野球選手に憧れてそれを目指して頑張っていましたが、高校の途中から怪我をしてしまったこともありそこで断念をしました。今はたまに大人同士で草野球を楽しんでいる感じです。
大人になってから短期間ではありますが、知り合いの監督に頼まれて「少年野球」や「中学野球部」のコーチも務めた経験もあります。
私が持っている知識や経験が、このサイトを通して少しでもあなたのお役に立てることがあればすごく嬉しく思います。
元野球少年のプロフィール
幼少時代
覚えていることは少ないですが、父親と祖父が大の野球好きで休日にはいつも父親や祖父とキャッチボールをしていたのを覚えています。
この頃は小学生になる前でしたので、野球の事はよくわからず単純にボール投げを楽しんでいました。
少年野球時代
小学生になり、よくわからず近所の少年野球チームに入団。
■小学1~2年生頃
この頃はまだ土曜日が休みではなかったので毎週日曜日だけ、自分が通っている小学校のグラウンドで練習をしていました。1~2年生の頃は、まだ野球の楽しさなんてよくわからずに母親に連れられてなんとなくやっていた記憶があります。
母親いわく「この頃はちょこちょこ走り回っているだけで野球をやっているというよりは、みんなに遊んでもらっているだけだったよ」と言っていました(笑)
あまりこの頃の記憶は無いのですが、すごく記憶に残っているのは「お昼に出るカツカレー弁当が美味しくて、それ目的で通っていた」ということですね。
■小学3~4年生頃
3年生ぐらいになると野球の楽しさがわかってきて、テレビでもプロ野球中継を観るのが毎日楽しみになっていました。と言っても、家では毎日祖父が野球中継を観ているので嫌でも観ることにはなるのですが(^^;
当時はもちろんスマホも無くインターネットが普及していなかったので、我が家では毎日新聞を取っていました。新聞紙のスポーツ欄の所に自分の好きな野球チームが出ているとそこの部分だけを切り抜いてノートに貼り付けるのが日課になっていました。
さすがに朝一で誰も新聞を読んでいないのに切り抜きをした時はかなり怒られましたが(笑)
今はスマホやタブレットでニュースが見られるので、新聞を取っている家庭は少ないでしょうから切り抜きをしている小学生はいないでしょうね(^^;
勉強が嫌いで学校に行きたくない日は「お腹が痛い…」と仮病を使いますが、さすが母親、私の嘘を瞬時に見抜き当然休ませてはくれませんでした(笑)
こんな学校嫌いな私でしたが、日曜日の野球になると早起きをして張り切って練習に行っていたそうです。確かこの頃(3~4年生)は、ショートかサードを守っていました。
同級生と比べて体が小さく身長も低かったので、前へならえをするときは手を伸ばすことが少なかったですね。そのかわり、チームの中では足が速く「1番バッター」を任せられる事が多かったです。
覚えているのは、セフティーバントで出塁して二塁まで盗塁をして2番バッターがバントをする。という流れにいつもなっていました。
■小学5~6年生頃
上級生になり、何故かピッチャーを任される事が増えてきたのと同時に副キャプテンに任命されたのです!(何故私が!?)
おそらくチームで2番目に長くやっているからだと思いますが(笑)
しかし、副キャプテンに選ばれたからには、なんとしても大会で優勝をしたい!!
・・・とまでは言わないですが勝利したい!
当時私が所属していたチームはかなり弱小で、大会ではいつも1回戦で敗退しているチームでした。
(今はもの凄く強くて優勝常連チームだそうです)
「なんとしても勝ちたい!!」と思った6年生最後の大会で奇跡が起きました!
すごく嬉しかったので今でも覚えています。
大会はトーナメントになっており、初日にキャプテンがクジを引いて対戦チームを決めるのですが最後の大会で1戦目に対戦するチームは、なんと・・・・・優勝常連チームでした。
なぜかこの大会は当時シードというものが無く、初戦から優勝チームに当たってしまう仕組みなのです。
抽選前は「最後の大会だから優勝とまでは言わないけど、せめて『1勝』をしよう!」と、チーム一丸になっていたのですが、初戦が強豪チームに決まった瞬間一気にチームの空気は最悪になっていたのを覚えています。
抽選で前に出ていたキャプテンがその場で崩れ落ちていましたからね(笑)
ここでキャプテンのママさんが「泣いても笑ってもこれが最後!悔いのないよう頑張ろう!」と監督のような事を言ってくれました。
本来は監督が言うセリフなのに、ママさんが奪うように言っていたので覚えています(笑)
試合の当日になりオーダー発表。私はいつもと同じ「1番・ピッチャー」でした。
ちなみにキャプテンはドカベンみたいな体格からか「4番・キャッチャー」をいつも任されていました。
円陣を組み、ついに試合スタート!
あの監督の言葉を奪ったママさんの一言のおかげか、変な緊張は無くヒットは打たれていたと思いますが、ギリギリのところで0点に抑えていました。
当時少年野球は1時間20分という時間制限があったので何回までやったかは覚えていませんが、私の最終打席で奇跡が起きました。
カウントは覚えていないですが、ピッチャーが放った球を力むことなくスイングしました。感覚としては「なんか気持ちよく当たった」という感じでした。その打球はグングン伸びてセンターを超えて、なんとホームランになったのです!
まさかホームランになるなんて思ってもいなかったので打球は見ずに思いっきり全力で走っていたら2塁主審が手を回しているのです。
「えっ?」
「ホームラン!?」
勿論ホームランなんて初めての事でしたので興奮していたのだと思います。ドキドキも収まらなかったでしょう。正直、打った後の記憶があまりないんですよね(^^;
興奮し過ぎてベンチに帰った時、監督のハイタッチをスルーしたのは覚えています(笑)
その後、緊張の糸が切れたのか相手ピッチャーにホームランを打たれてしまい同点になります。
「せっかく勝てると思ったのに…」
みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいになりますが、なんとか抑えて最終回。
1アウトで4番キャプテンの打席。初球、思いっきり振りすぎたせいか空振りして勢いよく転倒。むかし、読売ジャイアンツにいたデーブ大久保がフルスイングで空振りをして転倒したせいで骨折したのを思い出します。それが原因で引退したのは本当に残念でした。
話が逸れましたが、誰が見ても「こりゃ当たったら飛ぶな」というスイングでした。
2球目も大振りのスイングで空振り。「あぁ、追い込まれた」と思った3球目
「カキーン!」
と快音を響かせたボールは、外野のネットを超える特大ホームランでした!
本人いわく、
「あれは打った瞬間ホームランだと確信した」
と言っていました。
確かに打った瞬間、右の拳を突き上げていましたね。それは巨人の頃の松井秀喜を思い出させる光景でした。
時間的に最終回でしたので我が弱小チームのサヨナラ勝ちでした!小学生にして奇跡を体験した試合でした。
これを読んでいるあなたは「嘘だろ」と思っているかと思いますが、実際にあった体験談です。
なぜここまで覚えているかというと、その最強チームのピッチャーは今の友達だったからです。試合をしたその時は学校も違いますし初めましての人でしたが、中学生になり野球部の入部の時に再開を果たすのです。
未だに付き合いのある友人で、たまにこの頃の話をするので20年以上経った今でも鮮明に覚えているのです。
ちなみに、その大会の結果ですが2回戦目に当たったチームは、そこまで強くないチームでしたが初戦の試合で力尽きてしまいコールド負けをしてしまいました。
私たちの少年野球最後の大会は幕を閉じたのです。
大会でホームランを打った選手にはトロフィーが贈呈されるのですが未だに実家にありました。
飾ってはいないですが、初めて打ったホームランなので押し入れで大事に保管されています。野球一筋でやっていましたが、この頃なぜかプロ野球チームの帽子ではなくJリーグのヴェルディーの帽子を毎日被っていました。
未だに謎ですが、こんな少年時代でした(笑)
■その後
中学・高校と野球を続けましたが肘の故障があり社会人野球の道へ進むことはありませんでした。
しかし、野球が好きな気持ちは変わらず自分が今まで積み上げてきた経験や知識を役に立たせることができないかと思い、そんなタイミングで知り合いの少年野球の監督からコーチをやってくれないかとお誘いがあり、短期間ではありますが少年野球や中学野球部のコーチをやっていました。
人一倍、練習をしているのになかなか上手くならない人もいると思います。しかし、正しい練習方法を続けていれば必ず克服できると思います。
このサイトを見て1人でも多くの方のお役に立てれば幸いです。
こんな長々とつまらないプロフィールを最後まで見てくださりありがとうございました。